世界中の人々にとっても、北京オリンピックの熱戦はまだ記憶に新しいものがあります。

 

●なんと言っても感動のシーンは、オリンピック大会の競技種目で優勝した時の母国の国旗が国歌と共に掲揚される場面です。

      

私などは中央に国旗「日の丸」と国歌「君が代」が演奏される

      と、なぜか優勝したアスリートの身内・親戚・縁者でもないの

      に体がふるえるような喜びをおぼえました。

 

 およそ国に国旗と国歌があるがごとく、日本のほとんどの都道府県にも県旗と県歌があります。

 

 私共の愛知県には、日本の37道府県の県人会が存在し、県もその活動を積極的に支援をしています。

 

 その県人会では毎年1回の県人会総会の集いにおいて、県旗が掲げられ、参加者一同が県民歌を斉唱する光景を見受けます。その時は、参加者の誰もが自分達の出身県の故郷に想いを寄せて、心を一つにされておられます。

 実に「ふる里」の海山河はいつにあっても美しき良きもの、ありがたいものとの想いを感じとれる姿でもあります。

   

 

そこで、お尋ねしてまいります。

   

 

 私が幼い頃過した長野県の例を参考にしながら話を進めてまいります。

 

○ 長野県のホームページを見るとすぐに県民歌「信濃の国」が映し出され、

 県民歌の歌詞の上部のサウンドの項目をクリックしますと長野県警察音楽隊の演奏が流れ始めます。

 

 

○ 我が愛知県のホームページはどうなっているのかと思い調べてみました。

  いろいろと...愛知県民の歌を検索してみても出て参りません。その理由は、愛知県民の歌を重要な項目として正規に位置付けられていなかったのが原因です。苦労を重ねてなんとか愛知県のシンボルの項目の中に県の花・県の鳥・県の木・県の魚の次に県民の歌「われらが愛知」を見つけました。

 

  

歌詞は...何だか一昔・二昔の産業推進を讃えるような内容です。それだけでは愛着も親しみも想えないこともあり、演奏を聞けば少しは県民の歌を味わえるのではないかと思い、演奏の項目を調べましたが一切なく、県民の歌「われらが愛知」を心に感じる機会がありませんでした。

 

 

  もう一度、長野県での例をお話します。

 

 

 長野県庁に代表電話を入れますと、電話交換手は担当の部局を紹介するまでの短い待ち受け時間に県民の歌の「信濃の国」のメロディーを流してくれます。

 

 長野県では県が主催する行事だけでなく、例えば小中高校の入学・卒業式及び式典でも県民の歌の「信濃の国」を演奏して、参加者全員でもって斉唱する程であります。(長野県民であれば、誰でもが県民の歌が歌えます。)

 

 

 我が愛知県では、県職員録の411ページの後、即ち、ページ番号もなしの場所に県民の歌が挿入されていました。県職員が利用する愛知県手帳においては何故か後から2ページ目に県民の歌が挿入されています。県職員及び県議会の職員ですら、“こんな所に県民の歌があったんですね。

 

でも何故こんな後の後に載せてるんですかね”と聞かれ、私の方が返答に困ってしまったくらいです。(実に取扱いが...軽いです。)

 県職員ですら、このようでありますからなおさら愛知県民739万人のほとんどは愛知県民の歌の存在すら全く知らないはずです。このような愛知県の現状に心から悲しみと憂いを覚えます。

 

 

 

長野県と愛知県のおかれた県民の歌の位置付け及び愛着度(浸透度)を比較して考えますと、どうしてこんなに大きな違いがあるのかと理解に苦しみます。お蔵入りとなっている愛知県民の歌はただただ国民体育大会用にのみ限られて使われている現状を思うと、悲しく感じます。(お伊勢さんでも、20年に1度の遷宮です。我が、愛知県民の歌はなんと20年の2倍以上の47年に1回にしか日の目が当たらないです。)

 

 

質問の1

  2巡目の愛知国体(平成6年度)後において、例えば新年に知事が行う幹部職員を集めた始め式等を含めた県行事のあらゆる開催場所で県民の歌が演奏・斉唱された実績を、この最近の10年間の間に何回ありましたかお答えください。

 

 

質問の2

  神田知事さんは知事に就任されて以来、今年で10年目を迎えた県庁でトップの人です。

  さすれば、これまでにさぞかし知事は愛知県民の歌を聞いたり歌ったりする機会が数多くあったはずです。今では歌詞を見ないでも愛知県民の歌(われらが愛知)を独唱ができるほどかと思われます。御自身では歌詞メモなしでも独唱が出来る程でしょうか?

 

  参考までに、知事はこれまで何回程県民の歌を歌われたでしょうか。場所も含めて、記憶なさっておられるだけで結構ですので、お答え下さい。

 

 

○ 又、今年8月にサンパウロで行われた在ブラジル愛知県人会創立50周年式典において、神田知事と議会を代表して参加された鈴木副議長、立松議会訪問団団長及び訪問議員団の皆様方がブラジルの方々と共に愛知県民の歌を斉唱されたとお聞き致しました。さすが激しい選挙を闘われ勝ち抜かれた政治家の方々は大したものです。一度も愛知県民の歌を練習もされず、ぶっつけ本番で堂々と斉唱が出来るなんて実に驚きです。

 

  今回のブラジルでの式典ではカラオケのような愛知県民の歌の演奏だけでなく、歌詞付きであったようであります。

北京オリンピックの開会式では、可憐な美少女が口パクであったことが後日問題になったことを記憶しています。

 

ブラジルでは結構歳を重ねられたおじ様達、神田知事をはじめ鈴木副議長、立松議会訪問団団長及び訪問議員団の方々も含めた参列者の皆様方が愛知県民の歌を斉唱する際に、ほとんどの方が口パクの状況であったと思われる光景を思い浮かべました。愛知県を代表するブラジル訪問議員団一行に、かくも失礼千番な愛知県の事務当局の対応に心から憤りを感じました。

 

 

  そこでお尋ねします。

 

 

○ 愛知県民の歌は愛知県はもちろんのこと日本国内で声を出して歌詞を斉唱したことは、ついぞこれまでの記録にはなかなか見当たりませんでした。ただし、特別に練習されたバックコーラスを除いてのことです。

 

  愛知県民の歌を行事に参加した一同が揃って斉唱する場所は外国のブラジルだけであるとお決めになったのか、お尋ねを致します。この取り扱いを決めたのは、神田知事あなたなのですか。それとも、過去の歴代のどの知事でしたか。    (率直にお答えください。)

 

 

○ この際、皆様にも明らかにしたいと思います。それは、知事よりももっと愛知県庁に永年勤続なさっておられる副知事(2名)・教育長・総務部長等を始め、この議場の雛壇にお座りの県を代表する責任者はもちろんのこと部長・課長・課長補佐・主査クラスに至る全幹部職員及び県職員7万4千人の内国体及びゆう愛ピック等で関係した一部の人を除くほぼ全員が、この愛知県民の歌「われらが愛知」を斉唱された体験が全くないという異常にも思える不思議な現象をどう理解して良いでしょうか。実に、実におかしいですよ。そう、お感じになられませんか。

 

これは、愛知県を代表する唯一の県民の歌(県民歌)についてお話をしているんです。今ある愛知県民の歌は、県民歌として県職員全員が認めないんですか。どうなんですか。

(この件についてどなたか責任ある方の答弁を求めます。)

 

 

○ 次に、教育長には、県内のすべての小中学校で、この愛知県を代表する愛知県民の歌(われらが愛知)をいつ頃からどのように教えて来られたのかお尋ねします。今こうして質問をしつつ、ひょっとすると愛知県中のすべての小中学校の現場で音楽や総合学習の時間を利用して子供たちに愛知県民の歌を教えていなかったのではないかと、今真剣に心配しています。なぜなら私自身が戦後の生れですが、小中学校の教育の中で愛知県民の歌を教わった記憶がまったくないことに気付いたからです。

 

さらに、私の周囲のどなたに聞いても愛知県民の歌があること、学校で愛知県民の歌を教えられた人は誰もいないことにも気付きました。

多分、この議場におられる全員の人々も同じ想いで私の話しを聞いておられるのではないのでしょうか。そこで教育長にお尋ねします。

 

愛知県における学校現場での愛知県民の歌をどのように子供たちに教えてきたのか詳しくお話しをください。

  また、この件についての教育長の所見を求めます。

 

 

 

○ 警察本部長には、県警音楽隊は平成6年度の愛知国体及び年輪ピック開催後に県当局の要請を受けた集いで、何回程この県民の歌を演奏されておられるかお答えください。あわせて、演奏された集いはどんな場所でしたか。 (ここ最近10年間の演奏回数の記録もお答えください。)

 

  

−(お尋ね致します)−

 
今後、愛知県から、改めて県庁ホームページに県民の歌の演奏を聴けるように、録音協力の要請依頼があった時、快くお引き受けくださいますか。

 

 

 

 

○ また、知事は「県民の歌」を今後どのような形でもって愛知県を代表する位置に定められていかれるのか、納得のいく答弁を求めます。

 

 

 

○ 今ある県民の歌(われらが愛知)を演奏する時、作曲者への著作権料の問題が発生します。会場費(入場料)が無料の場所であるならば、県民の歌を自由に演奏することができますが、ひとたび会場費(入場料)が有料の場合の芸術・音楽・文化の公演会及び発表会、更には体育競技大会等においては県民の歌を自由に演奏することができないのです。

 

その理由は、昭和25年当時に、県当局の契約不備によって先に述べた入場有料施設においては県民の歌を演奏するには著作権料を支払わなければならないという未解決の問題が生ずるからであります。作曲者は日本でも有名な故・古関裕爾氏です。この点は、県当局がすみやかに対処して早急な解決をしなければいけません。   (所見を求めます。)

 

 

次に、歌詞に付いては...

 

 

今ある愛知県民の歌(われらが愛知)の歌詞は、敗戦直後の昭和25年当時の愛知を連想させるような時代背景にあって一途に産業推進を目指した、当時の内容ばかりが強く印象に残ります。

 

 

−私の感想は− もっともっと愛知の海山河を愛する心を伝えるもので

あって欲しいと願う想いがあります。

 

愛知県民の歌「われらが愛知」の作詞は若葉清成氏で、補作 西条八十氏で、

作曲は古関裕爾氏です。そこで歌詞1番と2番だけここに紹介します。

−(以上です。)−

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 先にお話をした長野県民の歌は、ちなみに1回制定された後、どうしても長野県民の心の旋にふれるものがないとして、昭和22年に公募決定した県民の歌を昭和43年に県民の声で制定しなおしています。(理由は...長野県をあらわすふる里の自然の情感や魂が表現されていないのが最大の理由でした。)

 

 今の県民の歌「信濃の国」は、明治32年に作詞、明治33年に作曲されたものです。

 

当時の師範学校(今の教育大学)行事の時に歌い継がれ、学生が教師となり、県下の学校で教えられ、親から子へ孫へと歌われています。実に、「信濃の国」の歌詞は格調高く、長野県の各地域の大地・山河の喜びが魂をもって見事に表現され県民として生れた喜びが表現されています。

 長野県民は、将来、道州制となったとしても県民の歌「信濃の国」を歌い続け、子々孫々に渡って永遠に我が郷土を愛する心を根付かせるとしています。

 

 私共愛知県も、今、申し上げた長野県の例を参考としてもう一度愛知の県民に豊かな自然に囲まれた海山河を表現する魂のこもった「このふる里」・「郷土愛知の心」を伝えることの出来る県民の歌を本気になって、作るべき時期に至っているのではないかとここに率直に提案申しあげます。

           (知事の所見を求めます。)

 

 

以上、愛知県民の歌に対するこれまでの取扱いを踏まえて知事自らが、お役人が用意された答弁書にこだわらず自分の言葉で魂を込めて率直に答弁くださることを求め、質問を終えます。